2017年8月23日 (水)

オオシロカラカサタケ、食べられるんちゃ

オオシロカラカサタケ、食べられるんちゃうかなって思ってしまう気持ち、なんとなくわかる。おいしそうだもん。

2017年8月21日 (月)

相手なら…


https://twitter.com/DEGCHIRON/status/899255210685505539
隠し武器持ってる?(笑)

2017年8月20日 (日)

永遠の安らぎ。


自分が取り込んで握りしめている、
成功の形や、正解の形、幸せの形に、

人であれ、ものごとであれ、外側のなにかを、
なんとかして、自分の思い通りに変えることで、

自分が愛されていて、
存在する価値がある、大切な存在なんだ

ということを、
証明しようとしなくていいんだよ。

もちろん、したければしてもいいけれど、
それをやっている間は、

お腹が空いて、食べて満腹になっても、
また、時間がたてば、お腹が空くのと同じで、

いつまでたっても、本当に満たされることはないんだ。
なぜかって、
そう生きることを選んだ瞬間、

あなたは、

愛されていない、価値のない、
粗末にあつかわれる存在だと、

自分で、自分を、みなして、
そういう存在として生きることを、
自分が選んでいるのだから。
成功の形、正解の形、幸せの形、、、
なんであれ、

その形の奥で、ほんとうに望んでいることは、

安らぎや、
満ち足りているという感覚、
OKだという肯定的な感覚なのだ。
そして、それは、
外側のと、みえている世界にはない。

いつか手に入るものではなく、
今、ここに、
すでに、あるものだ。

だから、探さなくていいんだよ。

なにかしよう得ようとするのを、やめてみたら、
ずっと、それがここにあったし、
今も、あるし、
これからも無くなることなく、あり続けているのがわかる。

時間を越えて、空間を越えて、
すべてをつらぬいて、すべてを包括して、
ただ、ここにある、永遠の安らぎ。

至福。
手に入れることも、失うこともなく。
ただ、あるんだ。

2017年8月17日 (木)

おはようございます、久しぶりに合羽を着

おはようございます、久しぶりに合羽を着ないでのライディングで木曜日がスタートしました、拝島線が発生でダイヤが乱れている影響か8時5分頃に青梅街道駅から上りのが出発遅れているのでしょうね。

おはよー。今日から仕事でーす。お留守番よろしくねROYくん。一眼レフ単焦点レ

おはよー。今日から仕事でーす。お留守番よろしくねROYくん。一眼レフ単焦点レンズねこ猫茶トラちゃとら猫ちゃとらちゃとら男子部茶トラ共和国ねこ部保護猫catcatsinstacatlovecatscatlover
ROY&Nemuさん(royandnemu)がシェアした投稿-2017Aug163:34pmPDT

京都からの草津

ワンカラ心斎橋店が17日まで週末料金で、京都のポルタ地下街の会員になっている店からDMが届いていて、ワンカラの料金と期限的に行ける日からポルタ地下街と滋賀県内の まねきねこに行く事にしました。
が、8月16日という事で、京都は大文字五山の送り火の日という事で、まねきねこに行ってからポルタ地下街に行くと大変な人出とかち合ってしまいそうに思い、午前中にポルタ地下街に行く事にしました。
来月の福岡旅行の1か月前になったので、新幹線のきっぷを取るのにネット予約をしましたが、3連休初日とあって、10時の発売開始と同時に乗ろうと思っている列車が満席になり、仕方なく空いている列車を取りました。
その関係で家を出るのが遅くなり、最寄り駅から快速に乗り、天王寺で大和路快速大阪環状線に乗り換えましたが、待っている間に入ってきた くろしお10号がパンダのラッピング編成で、くろしおが遅れていたので1分遅れで発車になりました。
大阪で改札を入り直して、11時発新快速長浜行に乗り換えて、新大阪で一気に空きました。
京都で下車すると、0番線に天王寺で先に発車した くろしお10号のラッピング編成が停車していたので、写真を撮っている方が多数居ました。
ポルタ地下街に行き、会員になっている店で買物をしましたが、ポルタ地下街の人通りが少な目だったので、嵐の前の静けさのように思いました。
京都駅に戻り、2番線に行くと11時45分発の新快速湖西線経由敦賀行が停車していて、5分遅れで発車しました。
11時51分発の普通野洲行に乗りましたが、新快速湖西線経由敦賀行が5分遅れていたので、3分遅れで発車になりました。
南草津で下車して、SMART ICOCAの残額からクイックチャージをしておきました。
やぐらに昼食に入りましたが、6月に行った時は順番待ちの名簿を書きましたが、ほとんど空席状態だったので、拍子抜けをしてしまいました。
鶏玉天丼を注文して、今回はご自由にお持ち帰り下さいの 天かすは置いていませんでした。
それから まねきねこ草津店に向かい、入口脇に貼ってあったマリーナブルーのポスターが無くなっていました。
受付に行くと、通常の平日料金で、ドリンクバー付で30分50円で、なんばHIPS店だと夏休み料金で、南草津までの往復の交通費よりも高いので、すきっと対応の部屋に余裕で入れたので、滋賀まで遠征して正解でした。
4時間で申し込みをして、混雑していると3時間になるという事で、ソフトクリームを別料金で追加をして、前回と同じ12号室になりました。
部屋に入り、機器のセッティングをすると、前回の時と同じくハウリングが凄すぎ状態でした。
マリーナブルーの「Only You」をエンドレスで歌いましたが、1回目が69点台だったので「えっ?」と驚くような低得点で、2回目が73点台で、その後も70点台前半が続き、目盛?の振れ方が原キーで歌っている時に近い感じでした。
ハウリングが起こると、その部分の目盛が表示されなくなっていて、10秒以上連続してハウリングが起きると、目盛が空白状態になっていて、低得点になっていました。
目盛の振れ方から、キーを1つ下げて「B」で歌ってみましたが、下げていきなりは80点を超えたところでしたが、2回目には85点を超えたので、制限時間のちょっと前まで「B」で歌い、キリのいいところで「C」に戻しましたが、戻した直後は67点台に落ちてしまいましたが、最後は何とか連続して80点を超える事ができました。
そのおかげで歌唱ポイントが中々増えない状況で、「B」で歌うと曲のテンポが若干遅くなっているので、1時間に10回しか歌えない状況で、リモコン画面で曲のテンポを上げてみると、途中から目盛がずれるようになっていました。
4時間で38回歌って、3時間で30回歌った時と歌唱ポイントが変わらない状況でした。
支払いに行き、支払額が540円だったので、他店の朝うたよりも安くつきました。
まねきねこを出て、帰るだけならば運賃的に南草津駅に向かうところですが、草津駅周辺で買物をしようと思い、草津駅に向かいました。
まずは平和堂草津店に行き、百均ショップと食料品売場で買物をしました。
次に向かいのガーデンシティー草津に行き、うばがもち本舗に行き、おみやげ類を買いました。
買物後に草津駅に向かい、階段を下りている時に18時5分発の新快速が出てしまい、次の18時12分発普通網干行に乗りました。
京都で下車して、改札を入り直して、18時44分発新快速播州赤穂行に乗り換えました。
大阪で下車して、改札を入り直して、19時24分発関空・紀州路快速に乗り換えました。
最寄り駅で下車して、20時過ぎに帰宅しました。

2017年8月16日 (水)

播磨怜奈

播磨怜奈です。

SIFのことについて!
まずは、この言葉を言わせてください

みなさん、ありがとうございました!
暑い中、応援しに来て下さったり、

応援して下さったり、

投票を手伝って下さったり、

大切な1票をはちみつロケットに投票して下さったりと、

たくさんの方への感謝がいっぱいです

なので、
この文章上で、私の気持ちを言葉のように伝えたいと思います

私は、今とても悔しいです

私は、こころから本当に1位になりたかった!

だから、本当に悔しいです。
あと、
優勝して、100万円をもらって、
3Bメンバー全員と26人分の
ちょっといい靴を買えなくてごめんなさい
でも、
ライブはすごく楽しかったことを覚えているし、
みんなで声が枯れるぐらいの大声を出して、
投票を色んな方にお願いしたり、

あの1日の中で、色な事がありました!

今までで味わった1日の中で、本当に色な事がありました!
だから私は、前進します!

でも、ただの前進じゃありません。

どんどん加速していく前進です
前進して、前進して、前進して、

いつか、
26人分のちょっといい靴
いや、ピッカピカに輝く素晴らしい靴を
買えるようになるぐらいの
播磨怜奈になります!

首楞厳経(大仏頂首楞厳経)


阿難は合掌して改めて世尊にお尋ね申し上げた。
「心は身の内にあるのでもなく外にあるのでもないとしますと、いったい心の本体はどこにあるのでしょうか。願わくば世尊、大慈悲の御心で、この理を明かしてください。」
世尊は言われた。
「阿難よ、すべての人々は始まりもない遠い昔より、業の絆に縛られているのであるが、それは二つの根本を知らないからである。一つは生死の根本が迷いの心であることを知らないで、これを自分の本性と思っていること。二つは覚りの本体であるところの清浄な本心が、自分の上に備わっていることを知らないことである。」
「世尊、それでは私の本当の心は何でしょうか。」
世尊は言われた。
「阿難よ、分別の心は実のない虚妄のものである。因縁によって起こり、因縁によって移り変わる実体のない空なるものである。それを実のある心と信じたところに、汝の永劫の迷いが起こったのである。」
また世尊は弟子達に言われた。
「弟子達よ、すべての人々はみな客塵煩悩のために、常にその清浄な本心を汚されて、誤った考えに堕ちこんでいる。外の因縁にひかされて起こる煩悩は、常に動き動いて止むときがない。それは客のようにしばしの間宿る心であり、塵のように外からくっついて内の本心を汚すものである。けれども覚りの本体である浄い心は、そのために動かされることもなければ汚されることもない。煩悩の塵に埋まってもその性は失われないのである。
汝等心して、動く客人の煩悩を自分の本性と思ってはならない。動かない覚りの本心に目覚めて、真の自分を知らなければならない。もし動く煩悩に心捉えられれば、いつまでも転倒(さかさま)の見方に追われて、迷いの巷にさまよわなければならないであろう。」
その時、波斯匿王(はしのくおう)が申し上げた。
「世尊、この体が死んで滅ぶことは淋しいことですが、いま世尊は、滅ぶことのない覚りの本心というものをお説きになったので、私はまことに明るい気持ちになりました。」
王はこの世尊の御教を聞いて、たとえ朽ち行く身は捨てても、そこに滅びないものがあって、永遠の生を得ることができると知って皆と共に類いない喜びに浸った。
この時、阿難が立ち上がって、世尊にお尋ね申し上げた。
「世尊、もし私達の見方に生ずることも滅びることもないとしますと、私達は本心の性を失って、転倒(さかさま)の見方によって動いているとはいえないのではありませんか。」
世尊が言われた。
「物も心も、すべてのものは皆因縁によって起こるものである。そしてその因縁は、もとは心から現れたものである。これは今までもしばしば説いたことである。そうすると汝等の身も心も、本来微妙(みみょう)な明らかな心があって、その中から表れたものであるということはわかるであろう。しかし汝等は、その微妙(みみょう)な本心を忘れていて、本来悟りの性を持った心の中で迷い、その迷いの妄想(もうぞう)を本性であると思い込み、それがこの肉身の中にあるように信じている。それゆえ、山河、大地、虚空の果てに至るまでも、みな微妙(みみょう)な本心の中から現れたものであるということに気がついていない。まことに小さな泡を捉えて大海を究めたように思っている愚かさではないか。」
阿難が申し上げた。
「世尊のお言葉によって、心の本(もと)である常住の心性に就いて悟ることはできましたが、しかし、このお言葉を悟ることのできたのも、やはり分別の心によったのではないでしょうか。」
世尊が言われた。
「阿難よ、もし分別の心をもって法を聞いたというのならば、その聞き入れた法もまた分別の法であって、法そのものの性にふれたものとはいえない。
阿難よ、手によって月を指差し示されたときに、その指の先だけに注目して月を見たと思うならば、その人は、月を見ないだけでなく、また指をも正しく認識しなかったことになる。更に、光のない指を光のある月と誤った点からいえば、その人は、明るさと暗さの性をも知らないことになる。
まことに分別によっては、ものの真の性を知ることはできない。阿難よ、いま汝は、分別の心をもって私の言葉を悟ったといったが、もし分別が真に汝の心であるならば、その分別の心は、いつまでも変わらずに存在するはずであるが、しかし分別は縁にふれて起こるもので、縁が尽きれば変わりもし、滅(な)くなりもする。まことに縁を離れては分別の性はない。しかし、その縁の来たり、また去ることには関わりなく、永遠に動かず滅びない心性がある。それこそ汝の心の本体であり、主である。
阿難よ、一つの喩えを説こう。宿屋には客人と亭主とがある。客人は分別の心であって、縁あれば来たって宿るが、縁が尽きると去って姿を消すであろう。しかし、客人の去来生滅に関係なく、亭主は常に住している。客が去り居なくなったからといって、それで宿屋がなくなったとはいえない。縁につれて分別の心が消え去ったからといって、自分がなくなったとはいえないのである。
阿難よ、外縁によって移り変わる分別の心を性とするな。外縁の心には関係なく、常に移らず変わらない心を主とせよ。」
阿難が申し上げた。
「世尊、外縁に動かされない本性の心は、どうして消え去ることがないのでしょう。」
世尊が言われた。
「阿難、あきらかに聞くがよい。いまこの講堂は、日が出ているので明るいが、もし日が没すれば暗くなる。この場合、明るさは日中の終わりとともに過ぎ去り、暗さは夜が過ぎ去るとともに終わる。けれども、ものを明らかに見究める力はどこにも過ぎ去ることはない。
明るさが来ても暗さを知る力がなくなったのでない。暗さが去っても、それは明るさを見る力が起こったためでない。明暗の去来に関係はなく、明暗を見る力は常に住(とどま)っている。明るしと見るも一時の心、暗しと見るも一時の心、それは心の真性ではない。明と暗とに捉われない常住の心、それが汝の真心(本心)である。そうすると心の心性は明に侵されず、暗に汚されず、外の因縁にひかれて、去来する善悪や好憎などの煩悩の中に包まれながら、しかも染まることなく汚れることなく、本来微妙(みみょう)清浄にして消えることのないものであると知らなければならない。
阿難よ、円い器に水を盛れば円くなり、四角い器に盛れば四角になる。しかし本来水に円さ四角さの形があるのでない。ちょうどそのように、すべての人々は始めなき昔から、盛られた水に人生を見て、あるいは大小を考えあるいは四角や円を考え、あるいは善悪を考え、あるいは好憎を考えて、その考えのために使われて外物のみを追って苦しんでいる。しかしそれは、器という外の縁に縛られて、その縛られた自己を己れの心性のように思うために起こった妄想である。
ゆえに縛られた見方を縛る外縁に還(かえ)して、縛られない自分の真心に立ち帰るならば、その人は仏と同じものになって身も心も完全に明らかとなり、何ものにも障(さ)えられることなく、この身このままにして、十方の法界をも受け入れることができるのである。
阿難よ、いま仏を生む如来蔵の真心は、本来清浄にして法界に遍く満ちている。」
その時、富楼那(ふるな)が、座を立って、合掌して世尊に申し上げた。
「世尊、もしこの本来のさとりの本心と、仏の心とはぴたりと一致して減ることも増すこともないとしますと、仏の心から諸々の差別のある世界がどうして生まれることになるのでしょう。」
世尊が言われた。
「富楼那(ふるな)よ、かの大空の相(すがた)は定まったものではない。明でもなく暗でもなく、動でもなく、静でもない。しかし、日が照れば明の相(すがた)を顕し、雲が覆えば暗の相(すがた)を呈する。
また風吹けば動となり、風が止むと静となる。すなわち定まった相(すがた)がないから、縁に因っていかなる相(すがた)でも顕すのである。そのように、覚りの本心もまた、一定の相(すがた)を持っていないから、機に応じてどのようにでも顕れるのである。如来蔵といわれる覚りの本心は空でもなければ、地水火風でもなく、色声香味触法でもない。
また無明の顕れた世界でもなければ、その滅した境地でもない。その何れでもないので、人がもし地水火風の形あるものに執着して道を求めれば、そこに地水火風によって成る形として顕れることができるし、またその形あるものが因縁から成って自性のない空のものであると見る人があるならば、如来蔵はその空の中に顕れることができるであろう。
このようにして人々の機に応じて、道と非道、物と心、有と空の何れになりとも自由に顕れ、少しもさえぎられるところがない。しかも人々はちょうど水に映った月の影が、東に行く人には東に随って移り、西に行く人には西に向かってついて来るように思われるように、各々自分の求める所に、妙覚の如来蔵があるものと信じているのである。
富楼那(ふるな)よ、人々は、本来備わる妙覚に背いて、煩悩の塵にとらわれて、ものの相(すがた)に心を縛られ、この自由を持たないで苦しんでいる。
けれども仏は、法界も円かに満ちて何物にもさえぎられることのないこの妙覚に一致しているから、一を無量に、無量を一に、小を大に大を小に、よく現しよく一致して少しもさえぎられることがなく、道場に坐しながらそのままにして身を十方に遍くし、また十方の量りない世界をもこの一身の中に含め、あるいは、一すじの毛端にも宝玉のように尊い法の世界を示し、微塵の小さき中にも転迷開悟の大法輪を示すことができるのである。それであるから、凡夫の眼には、仏は実に差別の世界において差別の境界(きょうがい)を生むかのようにも見えるのである。」
富楼那(ふるな)が申し上げた。
「世尊、人々に本来覚りの妙心が備わっているとしますと、どうして虚妄(いつわり)を生んでその妙心の光を隠し、生死の巷に溺れることになるのでありましょうか。」
世尊が言われた。
「富楼那(ふるな)よ、価の尊い如意宝珠を持ちながら、自らそれを知らないで、諸方に食を乞うて生きる愚かなもののように、本覚の妙心を知らないで、人にさとりを求めることは愚かしい。もし彼の愚かな者が、知者からその宝のことを教えられれば、急に富が得られるように、仏に教えられて自らに本覚の妙心のあることに気がつかなければならない。」
この世尊のお示しによって、人々はその疑いを除いて、円かな智慧を満たすことができた。
この時、阿難が世尊に問うた。
「世尊、私はいま、仏となる道について明らかにさとることができ、道を修める上に少しの疑いもなくなりました。ただ、未来の人々は、仏の御世から遠くなるので、限りなく邪(よこし)まの師から迷わされることでありましょう。この時どのようにしたならば、心をおさめて魔に乱されず、勇ましく道に進むことができるでありましょうか。」
世尊が言われた。
「阿難よ、汝の問いは末の世の人々を幸いすること限りなし。あきらかに聞けよ。私はかつて、戒行と禅定と智慧の三学について説いたことがある。
すなわち心をおさめるのが戒行で、戒行によって禅定を生み、禅定によって智慧を起こすのである。
どうして心をおさめるかといえば、第一に貪る心を除かなければならない。もしこの心を除けば、生死の迷いが続くことがない。
また禅定を修めるのは、煩悩から脱れ出るためであるが、この貪る心を除かないことには、煩悩から脱れることはできない。
もしどれほどに禅定を積み智慧を研いたとしても、貪りの心を断たないことには、必ずや魔の道に堕ちて、多くの人を惑わすに至るであろう。自らさとらないでいてさとったように言い、人々の善智識の如く振舞って愛着(あいじゃく)の奈落に導くなどはみなこれである。
ゆえに禅定を修めるに就いても、まず貪りの心を断つようにと教えることが要である。諸々の仏の教えというも、実にこのことを第一とする。
阿難よ、貪りを断たないで禅定を修めるものは、ちょうど砂や石を蒸してご飯にしようとするようなものである。百千劫に蒸してもただ熱砂しかえられないように、百千劫かけて三悪道をめぐるより外はない。
また、阿難よ、殺す心を離れ盗む心を除かなければ、ついに煩悩の塵を出ることはできない。たとえいかように禅定を修め智慧を研いても、殺す心を離れねば鬼神の道に堕ち、盗む心を除かなければ悪霊の道に堕ちるであろう。
阿難よ、さらにこれらの殺し、盗み、貪りの心を離れても、妄語をいうならば仏の種を失うに至るであろう。
すなわち未だ得ない境地を得たと言い、さとらないでいてさとったと言い、自ら世に最も優れた者であるかのように言いふらして、世の供養を貪る者などは、永く善根を潰して正しい知見に戻ることのできない者である。ちょうど糞を刻んで栴檀(せんだん・・香木)に似せ、栴檀の香気を求めようとするようなものである。だから仏の弟子たる者は、つねにその心を直ぐな糸のようにしているならば、まことの禅定に入ることができ、永く魔の業から脱れて菩薩の智慧を遂げるようになるだろう。」
すべてに心から感謝します。
福の神さま

ワクワクセミナーでの奥義の素晴らしさと菊理媛の神氣遠隔ヒーリング

こんにちは。

天空の鏡を持つ姫巫女一宮花いちのみやはなです。

今日はヘルパーさんが来て下さる日なので、その間に私はコインランドリーへ。

宮城は今日も雨がザーザー降り、肌寒い一日でした。
長袖でいましたよ。

原稿を書きながら、いろんなことを思い出しています。

大人になってから初めてちゃんと神社へお参りした時のことも、

だんだん遠い過去のことになり

記憶もあいまいになって来ています10年以上も前ですからね。

ブログを見ても、大切なことは直接お伝えするようにしていたので

ほとんど書いていません

今も大切なことは、ランチ会や日本のかみさま塾、

神社参拝の折にお伝えしているので、このブログには

皆さんが知りたいと思うことはほとんど書いていないかもしれません。

文章でお伝えするのが難しいこともあります。

でもできる限りお伝えする努力はしたいと思っています。

先日大阪で数年ぶりに参加したワクワクセミナーでは、

神氣ヒーリングのおさらいを皆さんと一緒にしましたが

あらためてこのヒーリングの素晴らしさを実感しました。

普段ヒーリングをさせていただくことの方が多いので

直接神氣ヒーリングをしていただくのは久しぶりでしたが、

この日パンパンに凝っていた私の肩も背中も

数分で柔らかくなり、身体も軽くなりました

神氣ヒーリングは、邪気を祓ってくれるのですが

そんな軽くなった身体にさらに奥義によって邪気を抜いていただきました

邪気を抜いていただく前の身体の柔らかさ、あとの柔らかさの違い

神氣ヒーリングでは、施術前の身体の痛み、硬さ、必ず確認をします。

9月9日の菊理媛さまの神氣遠隔ヒーリングの時も

できるだけ身体の硬さ重さを事前に確認しておいて

ヒーリング後の身体の柔らかさ軽さを実感してください。

軽くなったということは、邪気が抜けて、

本来のあるがままのご自分になったということです。

今回は遠隔ヒーリングを送らせていただくのと同時に宇宙への平和の祈りを

菊理媛様、受け取って下さる皆様と一緒にしたいと思っています。

新しい時代の始まりの日に、地球、太陽、月、すべての惑星

すべての生き物、すべてのかみさま精霊達そして宇宙へ

愛と感謝のエネルギーを送りましょう

お申込みはコチラから

お知らせ
ホームページにルノルマンピケ無料占いを設置しました
9月6日水東京神田明神さま参拝招福開運ランチ会
9月6日水東京日本のかみさま塾入門講座
9月9日土菊理媛さまからのくくりと結びの遠隔ヒーリング
9月10日日兵庫西宮神社さま参拝招福開運ランチ会
9月30日土東京山王日枝神社さま参拝招福開運ランチ会
10月1日日兵庫西宮神社さま参拝招福開運ランチ会あと1名様

参加してます。
癒しヒーリングブログランキングへ

311検索は応援になる
ポケモンと一緒に被災地の子供たちを応援

2017年8月15日 (火)

双極千葉オフ会の参加無料化。

双極千葉オフ会の参加費を無料にします。

2013年8月に双極性障害を中心に精神疾患全般の
皆さま向けに千葉オフ会としてスタートしました。

スタート当初はカラオケボックスにて、
参加者各自実費負担としておりました。

その後、船橋市の公民館を利用し始めて、
参加費は一人100円とし、現在に至ります。
約1年程はNPO法人の地方会として活動していました、
その期間は活動支援金を頂いていましたので、
参加費無料で活動していた期間はありました。

基本的に経費が発生し無い形態で双極千葉オフ会を
運営しております。
事務所費0円事務所はありません。
通信費0円個人の電話とネット回線を使用。
スタッフ費0円一人で回しているので人件費発生しません。
会場費約10700円月1回開催。

上記の通り、発生する経費は会場使用のみです。
今回は、この経費をPolcaファミリーファンディングにて
集めて、双極千葉オフ会の参加無料化致します。

ご賛同頂けましたら、Polcaのプロジェクトより
応援して頂けます様お願い致します。

以下がプロジェクトのリンクです。

Polcaはアプリ専用ですので、お手数ですが
アプリをインストールして頂き、アプリから支援を
お願い致します。
現在は仕様上、PCからはご支援頂けません。

iPhoneアプリ
Androidアプリ

宜しくお願い致します。

«宝塚大劇場でしか見れないけれど、しっか